the Day out of Time 時間をはずした日
大なり小なり、
私たちが生きる限り、摩擦があります。
ヨガを学ぶ時、OMを学ぶ時にもでてくること。
その摩擦があってこそ、
自分が幸せだと心温まったり、
あの人に会えて嬉しいなって興奮したり、
もう一度話したいのにな、ってなくなってしまった方を思い出して泣いてみたり。
悲しいのか悔しいのかわからないようなもの、
いらなくなったものを流し去ることができたりするのだと思います。
いくつになっても訪れる、「煮詰まるぞー」の手前で、
大人にだけわかる、清らかな風が吹いたりするのでしょうね〜。
若いときはわからないものです。「あ、今助けられた!」
「あ!今すごい守ってもらってる!」と、年々感謝の気持が高まる経験、みなさんあるんじゃないかな?
明日にもっていくものについて、
今日という一日の中で選ぶことなくして自然と決まっていたらいいのにな、と思っていました。
だけど選びたがるので、そんな私にそよ風が吹きました。
それは「選ばないという選択」について書かれた本でした。
(。。。だいぶそれっぽいムードでここまではかけたな。)
摩擦がなかったら、
暗いところは明るくならない。
Mr.Childrenも「箒星」という1曲で歌ってるね〜。
「暗闇とじゃれあっては、
眩しく煌めくほうき星」
優しく触れることもある意味「摩擦」のひとつだし、
怒ってるときの激しい言葉も「摩擦」ですし、
「ありがとう」と言われて、
こっちの心が熱く、照れくさくなるのも、
摩擦ですね。
一切の摩擦をなくす日にしてみたいなと思うけど、
今の私のライフスタイルでは難しいかな。
せめて自然の素晴らしさをいっぱい感じる1日にしたいです。
みなさまにとって、この日がなにもないのに素晴らしい!という日でありますように。
マヤ暦というものに出会って2006年版で初めてコズミックダイアリーというものを買いました。(当時は会社にメールする注文方法)
ちなみに、
小学生の23%が、朝日、夕日をみたことがない、と言っている、
というのを
2005年に知ったんですけども、いまはどうなんでしょうね。
マヤ暦に出会って13年。これ1サイクル。
お盆過ぎあたりから別人になってたりして。
でももう、どっちでもいいや。マヤ暦でも、旧暦でも新暦でも。
それが、マヤ暦を内包するということでしょう笑。