愛された記憶
愛された記憶や感触が、どこかに残ってさえすればいい、と聞いたことがあります。
私自身は、子供がまだ50センチくらいの頃に、
この頃のことをこの子が覚えていなければいいと思いました。
この真夜中に敵もいない、
安心しきっていられるくらいにすっぽりと収まっている顔を見ると、
これがスタンダードになってしまったら、
世の中は苦しいことが多くなりすぎるのではないかと思ったものです。
でも今は、
いろいろな人からもらう愛情を、
どこかで思い出してほしいなと思っています。
忘れてしまっていいけれど、
自然のエレメンツの中でふと蘇ることがあってもいいかもなと思っています。
「愛されて育ったひと」
誰もがどこかで愛されたことがあります。
けれど
「愛されていることを自分自身で認められるひと」
というのは、多くはないみたいです。
愛された記憶は、時差なしで伝えることは難しいけれど、
「そういえば、母がね、、」
「そういえば、おばあちゃんがそうなってた!」
勉強しても、運動しても、
体のメンテナンスをしても、
ふとしたときに蘇ってくる気持ちがあります。
そんな大切な思い出とともに、
決してピカピカではに内臓と、
決して満タンではない日々の体内燃料と一緒に、
暮らして生きていけたらなと思います。
私も中年になったので、
海馬から記憶が移動する時、
優しく抱きしめてあげられる、
まあるく形成してあげられる、
「その出来事、愛に溢れてたよね!」
って声をかけてあげられるような
関所管理人でもありたいなと思います。
でもやっぱり、身長50センチの頃の記憶はなくなってしまっていいかもしれないと思っています。
「自分もこんなふうだったんだな」
と思える景色は、自分の周りに溢れているからねー。
身長が100センチくらいからは、
のんびりした幸せな生活を、憶えていてくれたらいいなって思い続けてます。
ああでも、もうすぐ足のサイズは抜かれてしまう。
以上、
天切り松 リカのひとりがたりでした。
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