同じチャンスが二度来たら、
同じチャンスが自分に二度も回ってきたことを受け止めなくてはならないのだそうです。
私の場合で言えば、
1回生まれてきて「生まれたよー」と喜んでもらって、
初めて立ち上がったときには「立ったね!」と喜んでもらって、
しゃべったり、歩いたりしたときもそうだったのだろうと思います。
残念ながら、弟も妹もいないのでそのあたりは想像でしかありません。
でもきっとそうなのだろう、いやきっとそうだ(想像)。
と、母になるまでは思っていました。
ところが、母になったら、その想像はやっぱりそうで、
「みんなこうやって人生の前半にかなり祝福されているのに、覚えてないのもったいないな、でもいつか自分自身でわかるんだろうな」
と思っていました。
ところが、
私の父がこの世から消えてしまいそうになりながら、
もう一度この世に舞い戻ってきました。
「こっち見た、立った歩いた喋った」
2度目の祝福です。
ついでにいうと、軽いダンスステップも踏めてびっくりだったんだけどね。
生活も仕事もすべて、リセットボタン押した後、みたいな日でしたが、
当の本人の脳みそがリセットされていなかったのが不思議です。
こういうことってあるんですね。
父に関して言えば、
子供の頃は「どうしてうちのお父さんはみんなのおうちみたいなお父さんではないんだろう」と思っていました。
違ったんです、なにかが。
母もそんな感じの人なので、
子供である私はずっと、いや今日までずっと、
「私は素晴らしい普通になるんだ!あなたは飛び抜けて普通でいいね」
と言われる人間になるんだ!と考えています。
でも普通じゃなかった。
私の友人たちが、父の書籍を買って読んでくれて気持ちを送ってくれた。
友達の父親の本を手にしてくれるなんて!
変わってて、行動力のある友達がいる自分は、
思ってた普通よりずいぶん楽しそうな自分に感じます。
「友達100人できるかな」という1年生のうた。
「100人もいたらいやだ」と思った6歳の私。
100人の縁があれば、いろんなことができると思う44歳の私。
魂の2度目のチャンスに限らず、
再会、再開、イメチェン、肉体改造、食事改善、2度目のチャンスってたくさんあるね。
2回目がきたら、それは何かからの合図だと思っています。