私とは顔も性格もちっとも似ていない子供と一緒に過ごしているのに、
なぜかいろんなシーンが蘇ります。
「過去は生ゴミ」
「急ぐ旅だから、おいていけ」
「他人の思う100%=自分の120%以上」
あんなことがあったな、こんなことがあったな、
懐かしい友達の顔が浮かぶな。
特別な1日って全部自分の後ろの道にあったんだね!
未来のわくわくする予定は、特別な1日になりそうな候補であって、
実際にはどうでもいいような、何気ない1日が特別な1日になることもあるね!
人間の記憶や、日常は、
よせてはかえす、波に似ていると言われます。
今日起こった出来事→新しくやってきた波。
明日になれば、昨日までの記憶の中に混ざって行く→海に還って行く波。
新しくやってきた波は新しい波と時には混ざり、
時には陸の砂と恋に落ちてその場にとどまり、でもやっぱり海に戻って行きます。
特別だった一日も、
後ろの波と混ざって、過去と呼ばれる記憶の中に吸収されて
脳の格納庫へ私たちの記憶は永きにわたって保存されていくんですね。
もしかしたら、
全然波打ち際にやって来れずに、
海の沖の方で、一生終える大切な記憶や出来事もあるのかと思うと、
一日一日が、ものすごく貴重に思えるくせに、
ものすごくどうでもいいような気もします。
どうでもいいんだよ。
今日起こったこととかは、多分、という自分1号がいて、
今日が本当に大切なんだったら、
私たちは明日生きる必要がないもんね、とハッパをかける自分2号がいて、
今日がどうでもよかったら、
私たちは明日も生きる必要がないとでもいうのかい?と
上から割り込んでくる自分3号もいます。
実に、紙一重だなあと思いました。
いや、自分3号まで登場しての空想になってて全然一重じゃないと思います。
健康とか幸せっていうのも、
そういうもんじゃあないですかねえ。
未来に健康や幸せをいくら設定しても、
結局それ、「過去の出来事フォルダ」に入ってくれないといろいろと実感できない。
過去は生ゴミ、と教わったけど、
生き方、見方、反省の心次第では、発酵食品。
夏休みが近い!
大人も子供も、かえりたくなるような、特別な1日でいっぱいになりますように。