幸せの概念 不幸は人それぞれすぎる
不平不満のほうが話が尽きなかったり、
不幸せ話のほうが長引いたり、
それって健康と似てるなあと思います。
「健康です」
「いいことですね。どんな風に健康なんですか?」
とは言わないでしょう。
「不健康なんです」
「そうですか、どんな風に不健康なんですか?」
これはあると思います。
これが、世の中なんだと思っています。
幸せな生き方について語りたいひとは、
それまでの不運の話もしたいでしょう、だから饒舌で話が面白いんです。
不運の話がなかったら、幸せの話ってなんだかわかりにくくなるようにも思えます。
だからこれらの話はセットで披露するスタイルが主流です。
私は怖い話はしません。
ヨガでも、ロミロミでも、怖い話はしません。
怖い話は、買わなくたって聞ける、読める。
怖い話って面白いんです。
だから吸引力も引導力も強いんだと思います。
不幸せの形はそれぞれすぎて、古今東西話尽きないんです。
幸せの形はまあまあ出揃っていて、ハッピーエバーアフター童話で出し切り、なんです。
強い武器を持たず、
色とりどりの不運を糸口にしたくない。
画一的で面白みはない「幸せ」が湧き出て周りに水しぶきになるようなスタイルで、
できれば長く、今の仕事をさせてもらいたいなあ、と思うのです。
だからパンチ効いてないし、びっくりもさせられないヨガイースト。